昨日1月17日は、阪神淡路大震災から27年。
長い年月が経ったが、忘れてはならない日。
私はその当時鳥取在住で
米子駅前商店街の家具屋で働いていた。
親友が神戸市長田区の学生寮に住んでおり、
朝震災のニュースをみて、真っ先に気になったのは彼女の安否だった。
もちろん災害時に電話連絡もできず、
長田の様子をテレビの画面越しにみて
とにかく無事であることを願った。
数日が経って、私の職場に突然
彼女が訪れた。
とても疲れた様子だったが、幸いケガもなかった。
「無事でよかった―――」
おたがい泣きながら、抱きあって再会を喜んだ。
話しを聞くと寮は激しく損壊し、
地震で起き怖くて目をつぶって布団に潜っていたが、目を開けると、つぶれた天井が顔の数cm上にまで落ちていたそう。
貴重品や少しの飲食物をリュックに詰めて、
公共交通機関が止まっているため、
ひたすら歩いた。
何とか乗り物が動いているところまで着くと、
ゆっくりと乗り継いで乗り継いで、
やっとの思いで鳥取まで帰ってきたと。
実は私震災の1ヶ月前、
神戸三ノ宮へ行っていた。
公私共にトラブルが多く気が滅入っており、
親友に会いに行っていたのだ。
駅構内のカフェでランチをとり、
夜はお好み焼きを食べた。
にこやかで爽やかな店員さんに「お客さん、どこから来たんですか?言葉違いますねぇ」と声をかけられたこと、今でもおぼえている。
あのおにいさんは無事だったんだろうか。
知っている場所、つい最近訪れた場所が
見る影もなく崩壊していた。
胸が傷んだ。
その後縁あって大阪に住むことになり、
神戸も度々訪れるようになった。
まだ震災の名残りがある時は、
自分がそこにいた時の記憶とリンクし
複雑な心境になった。
現在の美しく蘇った神戸の街をみていると、
年月も経て、震災の記憶も薄れゆくようだが
何年経っても、絶対に忘れてはいけない。
そしてそこに生きていた人々の証を、
大切な人を失った人達の悲しみを、
決して他人事だとは思わずに
大事に守り、語り続けていく。
それが今を生きている私たちに託された、
未来へつなげる使命なのではないかと思う。
先日もトンガの噴火で日本にまで津波が押し寄せる事態となったが、
どんな災害がいつ何時、誰の身に降りかかるかもわからない。
改めて、日頃の備えと防災意識を持っておくこと。
それを続けていくこと。
毎年この時期になると、自分に言い聞かせています。
#防災 #記憶 #記録